今年の「東京国際映画祭」では、『戦場のピアニスト』と『わが故郷の歌』の2作品、そしてこの映画祭に連動して開催される「東京国際女性映画祭」では『リリアン・ギッシュの肖像』と『ナタリー・グランジェ』の2作品を鑑賞しました。
今にはじまったことではないが、最近では時間の関係上、映画の感想を書くのが追いつかなくなってきている。たくさんの映画を観ながらもいつも執筆活動をしている映画評論家の方々はすごいなあ、などと思いつつ、でもせめて映画祭で観た映画ぐらいはと思い、自分を叱咤しながら、簡単な感想ですがここに記しておきます。
まずは今年の目玉商品から。
今年のカンヌでパルム・ドールを取った作品『戦場のピアニスト』。
監督はロマン・ポランスキー。出演は『ローズ&ブレッド』のエイドリアン・ブロディ。会場にはこのエイドリアン・ブロディがゲストとしてやって来てくれました。日本食が好き、日本女性と一緒になりたい、などと冗談めいたこと披露したあと、本題の映画のことをちらりと語ってくれましたが、まあさして言うことのほどはない。やっぱり映画の話というものは監督の言うことが一番おもしろいな。
映画は、あるユダヤ人男性のサバイバル物語といったところ。1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻し、ワルシャワに住むユダヤ人たちは「ユダヤ人居住区(=ゲットー)」に移住させられてしまう。エイドリアン・ブロディ演じる、いかにもピアニストらしい名前のシュピルマンは、文字通り、ユダヤ人虐殺を逃れ生き延びることになるのだが、監督ポランスキーの原体験をもとにして作られているせいか、細かいところの演出や人物描写、ゲットーの様子などが妙にリアルだ。見ていると、改めて600万人ものユダヤ人が絶滅させられたことの凄さが心のなかにずしんと残る。
しかし残念だったのは、全体的に見てさほど感動的な作品ではなかったということ。
これだけの内容なのになぜだろうか。
実在した人物シュピルマンを描いており、内容が内容だけに説得力もある。確かに“いい映画”なのだろうが(パルム・ドールも取ったことだし)、わたしとしては秀作だろう以外には何も感じなかった。相変わらず、被害者としての立場から見た同じ視点でもって描かれたホロコーストだ。ただ題材が題材だけに、この手の作品を「おもしろくない」と言い切れないところにこの映画の難点があるような気がする。
例えば、少し前に観たファスビンダーの『ベルリン・アレキサンダー広場』は、ちょうどこの時代のドイツを描いた作品で、何故この時代にナチスドイツの台頭があったかのかがおぼろげながら理解できて興味深かったのだが、わたしとしては、今の時代に、このような、ドイツ人自身があの時代を描く作品を見てみたいと思う。
また音楽に詳しい方にとっては、最後の方で、シュピルマンがドイツ人将校の前で弾いてみせるショパンの曲がとてもいいらしい。
そしてこの『戦場のピアニスト』よりもいいと思ったのが、バフマン・ゴバディ監督の『わが故郷の歌』。
前作の『酔っぱらった馬の時間』同様、現在地球上に4000万人いるとされるクルド民族の姿を描いた「連作」(あえてこう書かせてもらいます)。
前作もそうだったがこちらも家族愛をベースにおいた作品。ところどころにブラックな笑いがあふれ、力強い民族音楽が流れる。ロードムーヴィであり、音楽の映画であり、社会的な映画でもある。登場人物がみな泥臭く、なんと生き生きしていることか!
年老いた歌手ミルドは、20年以上も前に男といっしょに逃げてしまった妻を探しに旅立つ。付き添いはふたりの息子。道中、盗難にあったり、村の結婚式の演奏に駆り出されたりとさまざまな出来事に遭遇する。そしてまた親子喧嘩も旅の余興だ。やっと女だけが住む難民キャンプにたどり着いたときは、もう妻の姿はなく、男との間にできた娘だけが残っている。ミルドは、その身寄りのない娘を引き取り、家に連れて帰るのだが、その時、自分一人でも歩くのがやっとなくらい堆く降り積もった雪の中を、娘を背負って今にも潰れそうになる。
そんなにしてまでも、彼にとっては、自分以外の男との間にできた屈辱的なこどもなのにもかかわらず連れて帰る老人の姿にはやっぱり感動してしまう。
またラストが前作と同じく、国境沿いに張り巡らされている鉄線柵を越えるところで終わるというのが興味深い。彼らクルド人にとっては国境を越えることは命がけの行為であり、そして、鉄線柵を越えることが文字通り生きることでもあるのだ。
当日、会場は満席。もともと映画祭のコンペ入りしていた作品だったが、“他の映画祭にコンペティションで出品された作品は除外される”との「映画祭規約」から外れてしまったらしく、予定されていた監督の来日も実現せず。監督に会うのが楽しみだったわたしはちょっと残念だった。
プロデューサーに高野悦子さんを迎えて開催された「東京国際女性映画祭」。
ゲストには、な、なっ、なーんと、ジャンヌ・モロー!
わたしは今年、フランス映画祭横浜も含め2回も彼女に会ってしまった!(きゃ〜!)
そのジャンヌ・モローが監督した93年の『リリアン・ギッシュの肖像』は、97歳で亡くなったハリウッド女優リリアン・ギッシュへ、彼女がインタビューして作られた記録映画。
彼女を一度も見たことない方にはわからないのだが、リリアン・ギッシュの最大の魅力はその表情豊かな大きな瞳。このインタビューは彼女が亡くなるちょっと前に撮られたものらしいのだが、そのきらきらした美しい瞳は健在で、さすがサイレント時代から生きてきた女優、生命力とは瞳の輝きかもしれないと思った。
出演した映画の数は全部で102本、他に舞台が50あまり(初舞台は5歳のとき)。リリアン・ギッシュが出演した作品のことを語る、映画のことを語る、家族のことを語る、監督D.W.グリフィスのことを語る、その後彼女とジャンヌ・モローが並んで写真を撮る。こんな映画を観られたのはこの上ない幸せだ。
『東への道』や『散りゆく花』のワンシーンが流れたときは感激して涙が出たし、また、グリフィスはアメリカ映画の創始者であり、映画史にはハリウッドの監督としてその名が残っているのだが、彼女の話を聞くと、実はほかでもない“インディペンデント”な人であったのだ、ということもわかってちょっと嬉しい。
『ナタリー・グランジェ』、1972年のマルグリッド・デュラスの作品。
この作品に関してはなにも言うことがない。ずいぶん前にやはりマルグリッド・デュラスの映画を観たことがあるが、そのときもなんだかちんぷんかんぷんで、う〜ん、あれほどの作家が撮る映像というのは哲学的になるのだなと思っていたのだが、今回もそれと同じような印象を受けた。
日々連綿と繰り返される日常というもの。自分のこどもが問題児であったとしても、洗濯機を売り歩く訪問販売員(ジェラール・ドパルデュー)がやって来たとしても、食べ終わった後は皿洗いをしなきゃならないし、庭にたまった枝を集めて焚き火をしなきゃならない。淡々と描かれる「日常」というものもまた詩的なのかもしれないが・・・
主演はジャンヌ・モロー。普通の主婦を演じているのに、どことなく堕落した尼僧のような雰囲気を醸し出していたのは彼女ならでは。
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