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TOKYO INTERNATIONAL FILM FESTIVAL 2001 2001 年 11 月 27 日〜 11 月4日、東京・渋谷 |
邦題五十音順
『ヴィドック』
『地獄の黙示録・特別完全版』
『ノー・マンズ・ランド』
『ふたつの時、ふたりの時間』
| ヴィドック VIDOCQ 2001年/フランス映画/特別招待作品/監督ピトフ/出演ジェラール・ドパルデュー、ギョーム・カネ、アンドレ・デュソリエ他 公式HP |
1830年代を舞台に、凶悪犯あがりの探偵ヴィドック(実在の人物)が死ぬところから話がスタートする。なぜヴィドックは死んだのか? 彼は何を追っていたのか? 彼の自伝を書きたいという作家が、彼の過去を探る形でこの話は進んでいく。 ストーリーはその辺においといて、まずスゴイのがこの作品の映像。全編にわたってSFXを駆使し、音もハイパー体験できるというシロモノ。100分間、最新の映像体験ができる映画としては十二分におもしろい。 全編に漂う暗くゴシックな色彩、おどろおどろしいその雰囲気は、フランス映画らしくないといえばらしくない。それに魚眼レンズで撮ったようなアップの顔がいちいち出てくるのには笑える。 でも逆にいえば、フランスのハイテク技術の水準が高いというのは、あまり知られていないところで(特に日本では、フランスというとすぐ連想するのがモードであったり、料理であったり)これは世界にフランスのハイテク技術の水準の高さを見せつけるには格好な作品になったかも・・・なんて、個人的には思ったりして。 主人公ヴィドック演じるのは、体も顔も今や鬼瓦のようになったジェラール・ドパルデュー、今回は首まわりもいっそう肉付きよくして登場!CG満載だから、多少動きが鈍くたって大丈夫だね。 そして彼の過去を追う作家にはギヨーム・カネが演じる。 監督は、今まで『エイリアン4』『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』などのSFXを担当していたピトフという人。 映画祭会場には、監督ピトフとギヨーム・カネがご挨拶にきてくれましたよ。 |
| 地獄の黙示録・特別完全版 APOCALYPSE NOW REDUX 1979年/アメリカ映画/特別招待作品/監督フランシス・フォード・コッポラ/出演マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーチン・シーン他 公式HP |
まずは、久々に味わう生のド迫力にぶっ飛んだ。20 年前にオリジナル版が公開されたとき、劇場に観に行ったのは覚えているが、こんな迫力満点な映画だったか??? それぞれの役者もさることながら、戦闘シーン、爆撃シーンのものすごさ・・・ナパーム弾が炎を上げるときはもう目を見張る美しさで、CGでは絶対出せないアナログの迫力とはこのこと。 ただし、この <特別完全版> には、元となるオリジナル版に53分の未公開シーンが付け加えられていて、実はこの辺がこの映画の論議を巻き起こすところではないか。 ★つけ加えられたことで、映画自体に緊張感がなくなってしまった ★つけ加えられたことで、内容に深みが出た と、この辺のところは皆さまが実際にご覧になって、それぞれ感じていただくとして、ここでわたし個人的な意見をいわせてもらえば、このバージョンは映画祭向けではないか?と思う。 皆さまもご存じ、映画祭というのは、観客がみなテンションが上がった状態で映画を見に行きます。その中で、こんなにも重く、長い、ある意味苦しい映画も、その上昇気流の中でなら十分耐えられます。実際にわたしはもう食い入るように画面を観てましたが、果たして通常のテンションでこの映画の長さに耐えられるかどうか疑問が残るところ。オリジナルバージョンの方がよかった、などという声がすでに聞こえてきそうです。 上映時間は、なんと3時間24分!!!(休憩なし) マーロン・ブランドのハゲ頭も巨大だったが、この映画の長さも巨大です。 最後に、53分間の未公開シーンとは、[フランス人入植者の農園でのエピソード] [兵士とプレイメイトが遊んでいるシーン] [マーティン・シーンと兵士たちとの交流シーン] の3カ所。 |
| ノー・マンズ・ランド NO MAN'S LAND 2001年/ボスニア映画/特別招待作品/監督ダニス・タノヴィッチ/出演ブランコ・デュリッチ、ルネ・ビトラヤッチ、カトリン・カートリッジ他/2001年度カンヌ国際映画祭脚本賞受賞 |
これは、ボスニア戦争のさなか、両国の国境地帯(中間地帯=ノー・マンズ・ランド)を舞台に、ボスニア人兵士とセルビア人兵士が繰り広げる、NON!戦争を強く訴えている映画。最後はひどくやりきれない思いが残ったものの、奥の深い、それでいてコミカルなシーンもある実に素晴らしい作品。細かいところまでよく考えられてつくられていて、会話とか小道具とかで、監督が訴えたいメッセージがすごくわかりやすい形で感じ取れる作品ともいえる。 例えば・・・ セルビア人兵士とボスニア人兵士が、お互いに戦争をしかけたのはお前の方だとやりあうシーンがあるのですが、互いにもうどちらが先に戦争をしかけたのかわからなくなっている、または、この忌まわしい争いを相手のせいにする、このことで、この紛争が泥沼化していたのがわかったり。 また、死んだセルビア人兵士が、ワレットの中に男のヌード写真を秘かに隠し持っていた。それから感じとれることは、年もそう若くないこの兵士は物心ついたときから銃を手に戦場で過ごしていたのだろう、青春のさなかも女性を知らずして過ごし、とりあえず男で間に合わせていたのが、それが彼の嗜好になってしまったんだな、とか。 横たわった人間の下に仕掛けられた地雷も凄くこわい。 一度仕掛けられたら、爆発して人を殺さない限りその地雷を取り除くすべはなく、地雷というものが、単に人を威嚇するものでなく、正に人を傷つけるためだけに存在する武器であることに言い知れぬ恐ろしさを感じる。引き金を引くのは相手ではない、自分なのだ。 |
| ふたつの時、ふたりの時間 WHAT TIME IS IT THERE? 2001年/中国=フランス映画/シネマプリズム/監督ツァイ・ミンリャン/出演リー・カンション、チェン・シアンシー他 |
街頭で時計を売る青年シャオカンは、父親を亡くしたばかり。そんなとき、これからパリに向かうという女性に出会い、彼女が発った後もなぜか気になって仕方がない。そこでシャオカンは手持ちの全ての時計の時間を、7時間遅れのパリの時間に合わせはじめる。次第に手持ちの時計だけでなく、街中の時計をパリの時間に合わせはじめるようになる。 じっとして無意味に移動しない画面、台詞も少なく、肉親を失った悲しみと孤独感を、登場人物の行動だけで写し出す、その中にときどき表われるブラックな笑い。 これはこれは素晴らしい映画でございます。 主人公のシャオカンがパリにいる女性を想いながら観るフランス映画は『大人は判ってくれない』だったり(おいしい)。中国映画はド素人のわたし、この映画をつくったツァイ・ミンリャンなる人物、全く知る由もなく、でもこの作品を観たあとは、他の作品を観てみたいと思ったり。 そしてなにを隠そうこの映画、あのヌーヴェル・ヴァーグの神童ジャン=ピエール・レオーがちょい役で出る。あのお方をちょい役で使う監督ってどんなヤツだろうと思っていたら、あらまあ、たった今修行を終えてお寺から出てきたような坊さんのような監督さん。 問題のジャン=ピエール・レオーは、パリに発った女性が墓地で出会う男として登場。彼のすっとぼけた演技がすごく笑えるシーンであります。この映画は上映後にトークがあり、監督と出演者2人がやってきてくれてました。それぞれ挨拶したあと、観客からの質疑応答が行われたのですが、これがまた楽しいもので、あー、皆さんにお聞かせしたいけど、これはやっぱり生で見た人だけの特権か? だいたいこういった映画祭の質疑応答には、びっくりするほどのマニアックな質問が飛び出すものですが、この場合も例外ではなく、わたしのような中国映画のド素人にはなおさらです。 この映画を観ていないとわからない質問ばかりだったので、あえてこちらには書きませんが、やはりジャン=ピエール・レオーと一緒に仕事をしたことついてヒトコト。 監督は、この映画をつくるにあたり、脚本なるものは用意していなかったそうで、そこで彼が登場するシーンにももちろん用意された台詞などはなく、実際には、ひとことだけ台詞をいったのですが、あそこは全くのジャン=ピエール・レオーの即興台詞だったらしい。 「彼は脚本のある映画に慣れていたのではないでしょうか、なんだか緊張していたようです」とは監督のお言葉。またまた巨人をまえに凄いことをおっしゃる、ミンリャンさんったら・・・ |