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東京・水道橋「アテネフランセ文化センター」にて |
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右がマイケル・パウエル |
マイケル・パウエル Michael POWELL 1905 年9月30日英国ケント州カンタベリー近郊ベックスボーン生まれ。1930 年の[Two Crowded Hours] がデビュー作。39年の [スパイ] で、共同脚本家にエメリック・プレスバーナーを迎える。以来共同監督で数本手がける。1990年2月19日、癌のため死去。 エメリック・プレスバーガー マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー共同監督作品 |
| ヒズ・ロードシップ HIS LOADSHIP 1932年/出演ジェリー・ヴェルノ、ジャネット・メグシー、ベン・ウェルデン他 |
1932 年公開後、行方不明になってしまったフィルムが発見され、1997 年のロンドン映画祭で 65 年ぶりに日の目を見たというマイケル・パウエル初期の作品。30年代の映画というのはあまり見ない。ちょっと前の時代に D.W. グリフィスという人の作品があるが、30 年代というと、チャップリンの『街の灯('31)』や『モダンタイムス('38)』などが同年代の映画になるだろう。これぐらい古くなると、その映画自体によっぽど希少価値があるとか、そういった理由がないとなかなか見ないものだ。 希少価値という点では、この映画はその部類に入ると思う。32年に制作された白黒のミュージカルだからだ。会話している最中にいきなり歌い出す、この不自然さも白黒画面から出てくるとなると相当珍しいのではないか? ストーリーはちょっととぼけている。貴族になりたくない貴族の男を巡って大騒ぎするドタバタ映画、誤解が誤解を生み、主役が投げやりになったところで落ち着くところに落ち着いてしまう。ちょっと妙なストーリー展開が愉快。 |
| 赤 い 靴 THE RED SHOSES 1948年/出演モイラ・シアラー、アントン・ウォルブルック、マリウス・ゴーリング他 |
アンデルセンの童話「赤い靴」をもとにしてつくられた、バレエ映画の歴史的金字塔的作品。とにかくモイラ・シアラーが朝から晩まで踊りまくる。モイラ・シアラーという名前を聞いてすぐ判る人はそうそういないだろうと思う。(そう、そういうわたしだって) バレエダンサーと監督の関係、音楽家と監督の関係、バレエダンサーと音楽家との関係が入り乱れる。早く言ってしまえば三角関係なんだけど、そんな陳腐な一言ではすまない奥深さと残酷さがこの映画にはある。 そう言えば、子供の頃に良く読んだ童話というものは、お話の中で子供を丸ごと食べちゃったり、リンチ同様の差別があったりと、思いのほか残酷なものだった。わたしたちは平気で読んでたのよね。この映画のラストだって、涙なくして語れないものがある。でも忘れないでおこう。童話の主人公はいつだって純粋で美しいものなんだから。 |
| ホフマン物語 THE TALES OF HOFFMANN 1951年/出演ロバート・ラウンズヴィル、モイラ・シアラー、リュドミラ・チェリーナ他 |
いきなりオペラである。日頃オペラなんか聴かないわたしはそのうち眠くなるだろう、と思っていたが、眠かったのは最初のうちだけで、そのうちだんだんと眠気も覚め、その奇想天外なストーリーと、ケネス・アンガーを思わせるサイケな悪魔的色づかいで、ぐいぐい惹きつけてくれた驚きの一作。ホフマン役の男はちょっとロウ人形がかった顔つきをしているがなかなかもっての好男子。難点は、思いを寄せる人からことごとく裏切られてしまうこと。つまり、これがまたこの『ホフマン物語』なんだけど。別名『ホフマン失恋話』というわけだ。 色の美しさ、音楽の確かさ、役者の良さ、どれを取っても見て損はないという逸品。バレエに詳しい方は、往年のダンサーが登場しているのでこれまた別な意味で逸品。 |
| 血を吸うカメラ PEEPING TOM 1960年/出演カール=ハインツ・ベーム、アンナ・マッシー、モイラ・シアラー、エズモンド・ナイト他 |
『血を吸うカメラ』とはよくつけた邦題だと見終わったあとに思った。1960年につくられた猟奇殺人を主題にしたカルト映画、というだけで、その詳しい内容については全く何の前知識もないまま観た。 サスペンス・ホラー映画だから、きっとカメラに邪悪な霊が取り憑き、そのカメラを手にした者が次々と人を殺し、カメラはそれを撮り続け、人間の魂または血を吸い生き続ける話だろう・・・・・と、こんな三流ホラー映画並みの想像をしていた。今となってみると、そんな安易な想像をしていた自分が恥ずかしい。 まずは、この映画の冒頭部分のすばらしさに驚く。 カメラが一人の人間を映し出す、どうやら売春婦らしい、女が何か話しかけてくる、そしてカメラは(というよりカメラを持った人物は)女に誘われるまま彼女の部屋に上がっていく、ベッドの上に横たわろうとする女、売春婦特有の誘うような眼差しが、突然何かを見て大きく見開かれる、カメラは、じっと、恐怖に怯え叫び続ける女を映す。 そして突然画面が変わる、と思いきや、つい先ほどカメラに収められた映像がそのまま、今度は白黒で流れている、画面はどんどん後ろに引いていき、その映像を映しだしている映写機と一人の男の後ろ姿が見えてくる。 なんと・・・、男はカメラに収めた自分の仕業を椅子にゆったりと腰掛け、見ているのだ。 彼が奇妙なサイコパスであると悟るにさほど時間はかからない。 幼年時代の、父親から「覗かれる」ことで深く傷ついた男が、今度は「覗く」ことで、心に受けた癒されぬ傷の穴埋めをしようとする。 でも彼が覗きたいのは恐怖を目前にした人間の顔であり、それは本当の死をもってしか生まれてこない「真の恐怖」。人が怯えるのを見て、彼は抑えられぬ快感を得る。それは動物的であり、彼の本能でもある。 そしてそれを見ているわたしたちも、その顔の表情によって真の恐怖をかいま見る。 無惨な形で殺された死体や、床一面の血なんてない、首も飛ばないし内臓も出ないのだ。 この映画は 1960 年につくられた、という時代背景もあるだろうが、この恐怖の見せ方は新鮮だ。かっと見開かれた瞳の奥に恐怖が写し出されるのを、わたしたちは、それぞれの持つ想像力でもって脳裏に焼きつけることができる。 なぜこの映画がカルト映画となっているのか? ホラー映画というものが好まれないイギリスという国から出てきて、一度はお蔵入りになってしまった映画だから、というのも一理あるかもしれないが、わたしが思うに、カルト映画の定義そのものにかかっているように思う。 カルト映画とは、万人に好まれる映画では決してなく、ごく一部の熱狂的なファンの手によって発掘され、再現され、生き返る(=ルネッサンス)という行程がないと、カルト映画の部類に入らないのではないだろうか。誰もが好きな映画をカルト映画とは呼ばないのだ。 この『血を吸うカメラ』は、監督マイケル・パウエルの熱狂的なファンであったマーチン・スコセッシらが、その行程を行った。 これは久々に観るカルト映画の逸品。原題となる「Peeping Tom」は「覗き趣味」という意味。 |