| WORLD NOW〜世界が見える傑作ドキュメンタリー |
| どうやら「ぴあフィルム・フェスティバル」で、ドキュメンタリー映画の特集を組むのは今回がはじめてのようです。当日会場にご挨拶に来てくれた映画祭ディレクターの荒木啓子さんは、今回ドキュメンタリー映画を特集するにあたり、その理由をこのように語っておられました。 ■今の時代において、ドキュメンタリー映画とフィクション映画との間に正確な線引きというのはあるのだろうか?ということ(あくまでも疑問符) ■または、人によっては“ドキュメンタリーだから観ない”という方もいるだろうから、そのような映画の見方を広げたいという気持ち。 ■また何よりも、今年は『ボウリング・フォー・コロンバイン』の大ヒットによって、一般の観客もドキュメンタリーの分野に目を向けるようになってきたことなど。 彼女が語っていたことのなかで、わたしが一番共感を得たのは、ドキュメンタリー映画とフィクション映画に正確な線引きはあるのか?ということ。実はこれは常日頃わたしも疑問符として頭のなかにあるもののひとつで、いろんなドキュメンタリーを観ていると、ん?これは?と思うシーンに数多く遭遇する。“ドキュメンタリー”と謳ってはいても、多かれ少なかれフィクションの要素を持った作品が結構あるものなのだ。 例えば・・・・・、ここに某国の紛争に関するドキュメンタリーがあったとする。その中で、○月○日にひとつの建物が爆撃され多数の死傷者が出たとして、ぜひともその爆撃された建物をフィルムに収めたい。でもその建物がどれか正確に見つからない(またはその地域が危険なため近づけない)。人づてで、別の日であるが同じように爆撃され死傷者が出た建物があることを聞く。そして不本意ながらもその建物を撮り、その建物が○月○日に爆撃された建物としてナレーションを出してしまう。たとえ別の建物であったとしても爆撃されたのは事実だし、観る側にとって大事なのは「建物」ではなく、そこで起こっている「事実」なのだからそれで良しとしよう・・・。果たしてこれはフィクションか?ドキュメンタリーか? また最近のものでいうとジャック・ペランの『WATARIDORI』。世界中の渡り鳥が旅する姿を追ったドキュメンタリー・・・らしいのだが、映画の裏話を読んでみると、どうやらはじめから鳥を“仕込んで”いるらしい。また演じているわけではないのだが、完璧に“慣らされた鳥”のフィクションらしきシーンなんかを観ると、単にドキュメンタリーとは言い難い、といってもフィクションにも属さない映画のように思える。事実、ジャック・ペランはこの作品をドキュメンタリーとは思っていないようだ。 また逆に、フィクション映画でもドキュメンタリーのようにつくられているのもある。「ドキュメンタリータッチ」というのは映画のスタイルのひとつであるからこれは別にして、話の筋だけを立てておいて、後は役者に即興で演じさせ台詞を言わせてつくる映画なんていうのはよくあるし、中にはゲリラ撮りなどといって撮影許可を得ないまま、街頭でいきなり撮られるものもある。例えフィクション映画の中で行われた行為であったとしても、このようなものは二度と同じものはできない、ある意味ドキュメンタリーテイストを持った映画なのだ。 以下、鑑賞した映画です。 |
| レニ・リーフェンシュタール監督 いったいどこの世界に70を過ぎてからスキューバ・ダイビングのライセンスを取ったり、98になってアフリカの旅に出る人間がいようか! レニ・リーフェンシュタールという人はまさにバイタリティあふれた怪物である。1902年生まれ・・・ということは今はとうに100歳を越えているはずだ。今回彼女の新作と、彼女の姿を追った作品を観てみると、改めてレニという人間の意志の強さに驚かされる。写真を撮るということ、映画を撮るということ、美を追究していくということ、それは彼女にとっては生命力と同義語なのだ。(下記2作品は公開が決まっています「シネセゾン渋谷」) 『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海(Impressions of the Deep)』 2002年/45分/監督・製作・編集レニ・リーフェンシュタール/撮影レニ・リーフェンシュタール、ホルスト・ケットナー美しいというより度肝を抜く映像である。熱帯の海に生きる生物のグロテスクさに目を奪われ魅了される。極彩色の、未だかつて見たこともない奇妙な形をしたサカナや生き物がうようよ出てくる。気味悪く広がった珊瑚礁のなかで気持ちよさそうに泳ぐ稚魚たち、きてれつなプレタポルテショーのように彩り鮮やかに自慢の衣装をお披露目するサカナたち、マンタのアクロバティックな泳ぎには陶酔し、海の中でそそり立つ岩礁は、さながら深海の帝国といった感じだ。その中で、するすると岩の間を通り抜けるウミヘビは帝国をパトロールしている警備員といったところか。資料によると、この映像はレニの100歳(2002年)の誕生日パーティのときにはじめて公開されたものらしい。 『アフリカへの想い(Leni Riefenstahl - Her Dream of Africa)』 2000年/60分/監督レイ・ミュラー最初、エジプトのスフィンクスのような顔したレニの登場にビビッた。しばらくすると98歳でアフリカ旅行なんかしている老人の姿にビビッた。レニが71歳のときに発表した写真集「NUBA ヌバ」は素晴らしいものだった。かつてヌバ族と共に暮らしたときのことが忘れられず、レニは再びアフリカの地を踏む。今やヌバ族が暮らしている土地は紛争が激しくなり、外国人観光客はなかなか近づけない。情勢が落ち着くまでさんざん待たされてやっと到達しても、結局22時間しかいられなかった。それでも、レニがヌバ族の旧友たちと再会するシーンにはもらい泣きしてしまう。「常に、人生に対してYESと言うこと」。どんなことがあっても常に肯定的に生きてきたレニのこの言葉に、長生きの秘訣を見たような気がする。 |
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モハマッド・パクリ監督 『ジェニン・ジェニン(Jenin Jenin)』2002年/53分 ジェームズ・ロングレイ監督 『ガザ回廊(Gaza Strip)』2001年/74分 上記両作品ともパレスチナの現実を描いたドキュメンタリー。焦点になっているのは常に、イスラエル軍によるパレスチナ人への虐殺や破壊、ガザ地区の難民キャンプに住む人の悲惨な姿である。このような映像を見てしまうと、昨年観た『プロミス』が夢物語のように思える。いやもしかしたらあれは夢だったのかもしれない。ユダヤ人のこどもたちとパレスチナ人のこどもたちが一緒になって遊ぶ姿、その延長線上にイスラエルとパレスチナが和解している姿が見えたのだが・・・。このドキュメンタリーを観る限りでは、わたしたちが生きている間には、どうにもこうにも訪れそうにない「平和」というもの。あるパレスチナ男性は言った。誰もが殺し合いなんかやめて平和に暮らしたいと思っている。でもユダヤ人がいなくなってくれれば、という条件付きだ。この一方的な「平和」というものの概念に、気持ちが深く沈んでしまうのはわたしだけではないだろう。できれば、「イスラエル人とかパレスチナ人とかではなく、もう人が死ぬのは見たくない」と言った男の言葉を信じたい。今、パレスチナのこどもたちは、大人以上にユダヤ人を憎んでいる。彼らの気持ちを理解するには、わたしはあまりにも遠いところにいるような気がしてならない。 |