アボルファズル・ジャリリ監督作品
2001年12月26日〜2002年1月27日、東京・千石「三百人劇場」にて


アボルファズル・ジャリリ Abolfazl Jalili
1957年イラン中央部サヴェー生まれ。少年時代をテヘランで過ごす。70年代から8ミリの自主制作を始める。79年イランテレビに入社、短編ドキュメンタリーや短編劇映画を手がける。83年初の長編映画 "Milad" を発表するが、子供たちの残酷な状況を描いたことで論争を呼び、本国では上映が禁止された。
2001年、日本のオフィス北野ほかの出資により完成した新作『少年と砂漠のカフェ(原題デルバラン)』が、東京フィルメックスで上映された。


レビューは映画の年代順です

スプリング−春へ
1985年/出演メヒディ・アサディ、ヘダヤトラ・ナビド他/1986年ファジル国際映画祭審査員賞特別賞・新人賞(メヒディ・アサディ)
ジャリリ監督の長編第二作目。
イラン・イラク戦争のまっただ中、戦争によって両親と離れて住むことを余儀なくされた子供を題材にした作品。
主人公、少年ハメドが引き取られて行った先は森の中、そして一緒に住む人間は年老いた老人一人のみ。今まで町中でにぎやかに暮らしていたのにこの淋しさ、親に会いたいという思いを抱えながらも、しだいにこの老人と心を通わせていく姿が嬉しい。

森の中の自然が信じられないほど美しい。湖の上に降る雪、枯れた木が林立する大地、いかにも冷たそうなどしゃぶりの雨、どこまでも透んだ河の流れ、月明かりの美しさ。冬という季節がこんなにも寒々しいものであり、そして暖かい春が来るのを、こんなにも切実に、待ち遠しく描かれた作品も少ないだろうと思う。

そしてこの作品の中でいう「」とは、文字通り四季の春を意味すると同時に、終戦によって巡ってくる春(仕合わせ)、敵によって侵略された自分たちの町を取り戻したときの春(自由)、そして、離ればなれになった子供たちが、再び両親といっしょに暮らすことができる春(希望)のことを意味している。


かさぶた
1987年/出演メヒディ・アサディ、アスガル・ゴルモハマッデ他
残念!見逃した!


7本のキャンドル
1994年/出演ゼイナブ・バルバンディ、ホセイン・サキ他/1995年ヴェネチア国際映画祭金のオゼッラ賞受賞
とても奥の深い作品。
いつも思うことだが、ジャリリ監督の映画に出てくる子供たちは皆、生きるのにたくましい。そしてひどく大人だ。この作品に出てくる少年も決して例外ではない。見かけや顔つきはまだ子供なのに、ふとしたときに見せる表情に分別ある一人の男の姿を感じさせる。

母親の死がショックで全身麻痺にかかってしまった妹を救おうと、兄シュアンがあらゆる手を尽くす。医者を呼び、祈り、最後には神に捧げ物(子牛)までする。邦題の『7本のキャンドル』とは、モスクで祈りを捧げるときに7本の蝋燭を立てて祈るから。
心の中に切なる願いがあるとき、それが神への愛に変わり、祈りになり、願いが叶ったときに人は、それを奇跡と呼ぶのだろうか。少年を巡る人たちとの、人間味あふれるエピソードもとてもいい。


トゥルー・ストーリー
1996年/出演サマド・ハニ、アボルファズル・ジャリリ、メヒディ・アサディ他/1996年ナント三大陸映画祭グランプリ、1996年ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門出品作品、1996年モントリオール国際映画祭コンペティション部門出品作品
新作映画の主役として見つけた少年サマドは、幼少の頃足に負った火傷を、ちゃんとした治療を受けないまま生きていた。
映画を撮り進めていくうちに、その傷は早く治さないと命にかかわると知った監督は、映画のあらすじを大幅に書き替え(というより放棄)、この作品は少年の治癒の記録映画となる。

これがまた本当に素晴らしい映画で、フィクションの要素をちらちらと見せながらしっかりとしたドキュメンタリー映画となっている。
途中、ところどころにカットの繋ぎ目が見えたり、黒い画面が一瞬現われたりと、一見雑な感じのつくりに見えるが、実はこれ、かなり狙って構成されたんじゃないかと思う。
少年の黒い瞳がとても愛らしく、監督アボルファズル・ジャリリを含め、スタッフが揃って画面の中に出てくるのがちょっといい。迫力満点の一作。


ダンス・オブ・ダスト
1998年/出演マームード・ホスラヴィ、リムア・ラーヒ他/1998年ロカルノ国際映画祭銀豹賞・審査員賞受賞、1998年東京国際映画祭アジア映画賞受賞、1998年ナント三大陸映画祭監督賞受賞
とにかく顔がすごい!
子供の顔、大人の顔、揃いも揃ってものすごい。連綿と続いてきた人という種も、その一人一人を取って見てみると一人として同じ人間は存在しない、全くの孤立した「個」であることを証明しているかのようだ。

主人公となる少年イリアの顔、未だかつてこんな顔した子供に出会ったことがあるだろうか? その澄んだ瞳は、孤独にじっと耐えてきた瞳であり、遙か彼方にあるかすかな希望を見つめているようでもあり、同時に老婆のような優しさをも秘めている、まるで何世紀もの時間を経てきた瞳のようだ。もしこんな瞳に見つめられたら誰もがぎょっとしてしまうだろう。

この映画には台詞がない。出てくる人々はそれぞれに言葉を発するが噛み合うことはなく、その言葉=声は動物同士の会話のようだ。そして言葉はしだいに音となり、自然が奏でる音と重なり、白く乾いた大地を映した映像とシンクロし、巨大な映像詩となる。時間をおいてからもう一度観たい作品。


キシュ島の物語
1999年/第1話ギリシャ船(監督ナセール・タグヴァイ)、第2話指輪(監督アボルファズル・ジャリリ)、第3話ドア(モフセン・マフマルバフ)/1999年カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品
ペルシャ湾に浮かぶ島、キシュ島。そのキシュ島の観光局が島の魅力を伝えようと、イランを代表する三人の監督に映画製作を依頼してできあがったのがこの作品集。

全体的に見てちょっとだるい。とりたてて何てことのないそれぞれのエピソードが心地よくもあるが、心地よすぎて寝てしまったのがこのわたし。観光映画に徹してしまったのが難点か。
それでも第3話の「ドア」はその綺麗な映像にはっとしたが、特に心に残ったという訳ではない。肝心のジャリリ監督の作品(第2話)は、がむしゃらに働いて稼いだお金で、妹に結婚指輪を買ってあげる青年のお話。ジャリリらしいと言えばらしい。でももう少しメリハリつけられなかったものか? 短編なんだから・・・・・


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