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FESTIVAL DEL CINEMA ITALIANO 2005 TOKYO 2005年4月29日〜5月4日 東京・有楽町朝日ホール |
| blog (chat gourmand) に載せた感想はこちらから(公式HP) 観賞作品は『私のことを覚えていて』『ローマの人々』『真夜中を過ぎて』『家の鍵』『スリー・ステップ・ダンス』の5作品。レビューは観賞順になっています。 |
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私のことを覚えていて RIDORDATI DI ME ★★
■2003年■監督・原案・脚本ガブリエーレ・ムッチーノ■出演ファブリツィオ・ベンティヴォッリョ、ラウア・モランテ、ニコレッタ・ロマノフ、シルヴィオ・ムッチーノ、モニカ・ベルッチ |
第一期、いや第二期かもしれない倦怠期にはいろうとしている夫婦の「家庭崩壊・危機」を描いた作品。しかし、家庭の危機とひとくちに言ってもイタリアではその壊れ方も半端じゃなくて、『息子の部屋』でもの静かな妻になったラウラ・モランテが、四六時中大声で叫びまくっている。すぐ怒るし、信じられないほど苛々している。そんなにおっきな声ださなくてもいいじゃないとニホンジンはおもってしまうのであるが、これがイタリアなのかも。堪忍袋の緒が切れて家を飛び出していく夫を、後ろからずんずん追いかけていく様はすごい迫力。というか、こんな風に追いかけられて男はうれしいんだろうか。んなわけないよなあ。だから愛人(昔の恋人=モニカ・ベルッチ)に走ったんだよな。個人的には、まったりした性格の、今の若者を体現したような(いや実際に若者なのだが)シルヴィオ・ムッチーニ(息子役・監督の実の弟)がいい。いわゆるイタリアにありがちな美形じゃないあたり好感がもてる。全体的に映画としては悪くないんだが、会話、音楽と、とにかくすべてにおいて騒々しいのが気になる。最後の方で、いっしょに逃げようとした愛人と夫がスーパーマーケットでばったり出会うシーンの、郷愁のなさも気になる。 |
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ローマの人々 GENTE DI ROMA ★★★★
■2003年■監督・原案・脚本エットレ・スコラ■出演ジョルジョ・コランジェリ、アントネッロ・ファッサーリ、ファビオ・フェッラーリ |
最終的にこれが今年のイタリア映画祭で一番良い映画だった。わたしはこういう、さりげない、それでいてどこか秀逸した視点をもった作品が好きなのだ。朝4時、ローマの街が目覚めるところからこの映画ははじまる。バスに乗る人、ベンチに座る人、買い物する人、カフェでひと息つく人、散歩する人。ローマという街に住む人すべてに、それぞれに人生があり、それぞれに事情がある。幸運なやつもいれば不運なやつもいる。名匠エットレ・スコラは、そういったことを重々承知の上あえて語らず、切り取ってしまうことを選んだ。それぞれの出来事につながりはない。あるのは、そこがローマであるというだけだ。スケッチ風に綴られた人間の姿。社会問題、人種差別、政治的なものを軽やかに織り込みながら、それでも常にその視線はやさしく、愉快だ。そしてわたしはこんな映画を観てしまうと、ローマに住みたいなどとおもうのである。 |
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真夜中を過ぎて DOPO MEZZANOTTE ★★★
■2004年■監督・脚本・制作ダヴィデ・フェラーリオ■出演ジョルジョ・パゾッティ・フランチェスカ・イナウディ、ファビオ・トロイアーノ |
たぶんこの映画を観た人は、映画好きであるからにして、この中で描かれていることすべてに多かれ少なかれ共感がもてたのではないかとおもう。主人公の映画オタクが働いているのが「映画博物館」というのもしかり、博物館の中のその古典さと、劇中引用されるフィルムをにやつきながら観ていたのはわたしだけではあるまい。現に上映後、よかったよかったとの声が会場のあちこちでささやかれ、誰か買うかしらこれあなた買ったらどうわたし買ってもいいわよ、もう一度この映画を観られるんだったら何でもするわといった声も多く聞こえてきた。というのは真っ赤な嘘であるが、別名「映画オタクの逆襲」とか、「それでもオタクは強し」とかいろいろ楽しい題名つけられそうな、ポスター(右の写真)見てもわかるけど、夜のローマが、とっぽいワルと映画オタクとハンバーガーショップの女の奇妙な三角関係の修羅場と発展する。映画を見て勇気づけられ女を取りもどすために慣れない喧嘩してみたり、愛を告白するのに自作の映画を作ったり、一から十までシネマチックに動いている映画オタクの、愛おしさというか、かわいらしさというか。博物館の中で映画の魔術を見せるシーンなどでは、フェリーニを彷彿させ、嗚呼、イタリアという国はいつも映画的でいられるのだなとおもってしまった。 |
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家の鍵 LE CHIAVI DI CASA ★★★
■2004年■監督・脚本ジャンニ・アメリオ■原作ジュゼッペ・ポンティッジャ「明日、生まれ変わる」■撮影ルカ・ビガッティ■出演キム・ロッシ・スチュアート、アンドレア・ロッシ、シャーロット・ランプリング |
痛々しい映画ではあるけれど、観終わった後なんとも不思議な安堵感に包まれる。障害児の息子と父との再生の話というと聞こえはいいがその実、むずかしい問題をも含んだ作品である。息子役になるアンドレア・ロッシの演技をしない自然さが、わたしたちに勇気を与えてくれ、生まれて初めて目にしたもののように感動的なのだ。人はこんなにも優しくなれるものだろうか。パンフレットには、彼の存在が「普通の人間に未知の領域を垣間見させてくれる」とあったがまさにその通りで(巧い表現だとおもう)、彼の、猫のような知りつくした瞳が怖くもあり、人を困惑させる。また、病院で出会う、やはり障害児の娘を持つ母親として出てくるシャーロット・ランプリングが、無次元的な穏やかさで内に秘めた絶望を表現し、ひとことひとこと言葉を吐くときの「正しさ」が、さらに厳しくずしんと見る者の心を打つ。今さらではあるが、彼女はやっぱりすごい役者なのだとおもってしまった。また、父親役のキム・ロッシ・スチュアートは、バスケットボール観戦の最中いなくなってしまった息子を捜しまわるときの目を真っ赤に泣きはらした顔で、突然『アパッショナート』に出ていた人なのだとわかり、妙なところで感激してしまった。この映画は、アンドレア・ロッシとキム・ロッシ・スチュアートと、シャーロット・ランプリングの3人の存在・世界がすべての意味をなす。 |
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スリー・ステップ・ダンス BALLO A TRE PASSI ★★
■2003年■監督・原案・脚本サルヴァトーレ・メレウ■撮影レナート・ベルタ、パオロ・ブラーヴィほか■出演カロリーヌ・デュセイ、ヤエル・アベカシス、ミケーレ・カルボーニ |
| こういう映画というのは、あらかじめシノプシスだけでもさらっておかなければいけないのだ。いつも通りわたしは何の予備知識もないまま見はじめたら、ほとんどちんぷんかんぷんで、いったいなんなんなんだこのバラバラは!?とおもい、観賞後パンフレットを読んではじめてこの映画の意図がわかった。この映画は、「春」「夏」「秋」「冬」とそれぞれの季節を、それぞれまったく違う登場人物によって描いた、いわば四部構成的な作品になっている。それでも、それぞれの話のなかに少しずつ繋がりがあるので、まったく違う話でありながらも実は、同じものがベースに置かれているのがわかる。この場合、舞台がサルディーニャという島であることが大きい。こども、少年、青年、少女、異国の女、若者、老人。島に住む、ありとあらゆる年代の、ありとあらゆる個性の人たちを描きたいがためにこの映画を作ったといってもいい。荒々しくも美しいサルディーニャ島の自然を存分に堪能できる。ということを鑑みて、機会があればもう一度じっくり観たい気もする。 |