10月11日
2つめのプログラムが終了したところでまた外に出る。
会場には、わたし同様1日券を買って来ている人がけっこういるようで、映画が終わるとすぐさま次の回の列に並ぶ、という行動を繰り返している人がたくさんいたが、わたしは列に並んでじっと待つということがあまり好きではない。並ばなくてもいい状態ならばけっして並ばないし並びたくない。というわけで、銀座7丁目までスタバの珈琲を買いに出る。


今日最後のプログラムは、短編『トーヴァルセン』と長編『二人の人間』の2本。

トーヴァルセン』はデンマークの彫刻家ベアテル・トーヴァルセンについての映画。白くなめらかな曲線の、ひじょうに美しい彫刻をあますところなく撮ってはいるが、ほとんど感動もないまま映画は終わる。やはり彫刻は写真や映像でなく本物をじかに見たい。

二人の人間』は、話といい雰囲気といい、おおよそドライヤーらしくない映画だった。登場人物が夫婦の二人だけ(三人目がいるにはいるのだが、声と姿のみでの登場)のサスペンス仕立ての密室劇。会話だけで成り立っている、登場するふたりのシチュエーションがどんどん変わっていく展開で、個人的にはこのような設定は好きな方なのでわくわくしながら観ていたが、最後の心中シーンにはまいった。メロドラマだったのか、これは。このラストはドライヤーの意図するものだろうか、それとも製作者側から依頼されたのだろうか。おもしろいのは、最後の最後まで、女が夫をだまし続けるだろうと思わせる感じになっていたところだ。彼女は、一見して美しく誠実そうなのだが、夫に忠実な雰囲気なんぞこれっぽっちもない。また、夫役になる男も、何を考えているのかわからない胡散臭そうな感じの男で、この映画は、だまし続けた夫婦の暴露ムーヴィーかと思ったわたしは、最後のシーンで見事にだまされてしまった。




10月13日
今日はジャンヌ・ダルク鑑賞日。カール・ドライヤーといえば裁かるるジャンヌ、裁かるるジャンヌといえばカール・ドライヤーである。ジャンヌ・ダルクはぜったい大画面で観たい。しかしあろうことか前売り券を買いそびれているのに気がついた。仕方ない、当日券を買って観ようと思っていたら、朝からどんよりしていた空が、昼すぎから土砂降りの雨になった。雨の日に出かけるのはきらいだ。今日のジャンヌ・ダルクもこの雨で流れてしまったかなあ。窓の外を見ると、この土砂降りのなかでも野良猫が悠々と歩いている。
ほとんどあきらめかけていた頃、急に雨がやみ空が晴れあがり、太陽が顔を出し、そして映画の神さまも降りてきた。そしてわたしに「映画を観に行きなさい」と言った。


数日前にこのレトロスペクティブのチラシを見ていたら、有楽町朝日ホールで上映する『裁かるるジャンヌ』は“サイレントフレーム”、後日ユーロスペースでの上映は“通常の映写機の24コマ/秒”となっているのを発見。サイレントフレームというものがどんなものかわからないが、上映時間が通常の映写機に比べて約15分ほど長い。きっと手で映写機を回しているのだろうと勝手な想像をしながら鑑賞。

最初にお断りをしておきます。わたしはピアノ伴奏付きのサイレント映画というのがひじょうに苦手で、この日も、ジャンヌ・ダルクは見たかったけどピアノ伴奏が付くので一抹の不安があった。音のある映画に見慣れてしまっている今の観客に、サイレント映画をピアノ付き(または弁士付きの)で見せるというのは、ある意味、映画を楽しく見せるひとつの策ではあるけれど、ただそれもピアニストによるのだ。この場合、映像と音が合わないというのはもう問題外である。中には、本来ならば映像の黒子的存在でなければならないのに、映像を無視した、映像よりも突出したような弾き方をするピアニストがいたりする。こうなると、映画を観に来たのかピアノリサイタルに来たのかわからない。

で、『裁かるるジャンヌ』はどうだったかというと、もう映像に対して音が合わないどころではなく、破壊的な傷つけようで、映画は壊滅状態。無惨にもジャンヌ・ダルクがチャップリンに見えてしまった。まさに悲劇だ。いったいぜんたい、あの映像を見て、どこからこんな音が生まれるのだろうか。わたしは上映はじまって5分ぐらいで耳をふさぎはじめ、97分間ずっとそのままの状態でいた。後ろに座っていた人は、わたしのこの様子をみてどう思っただろう。でも耳をふさいでいても微かに音が聞こえてくるから始末が悪い。サイレントを観にきて耳栓が必要になるとは思わなかった。このプログラム、当日券が2000円もしたのに、これじゃあほんとに金返せ状態だ。
ただ、こんな風に感じたのはわたしだけかもしれない、ということを書き記しておきます。だって、上映後にはちゃんと観客の拍手があったんだもの。拍手があったということは満足した人もいたんだろう。

今回改めて『裁かるるジャンヌ』を観て、カール・ドライヤーという人はあらゆる角度からの撮り方を試してきた人なんだということに気がついた。人間の顔にこだわるドライヤーは、この映画に出演している役者をすべてノーメイクで撮っている。その人間の素顔を、恐く見せ、おだやかに見せ、客観的に見せ、また悲しく見せるのに意図的なカメラアングルを用意している。角度とは、早い話、構図である。そしてその構図の中にあるのは常に人の顔。この映画の一番のおもしろさは、人間の顔かもしれない。


『裁かるるジャンヌ』の前に併映された短編『彼らはフェリーに間に合った』は、むちゃくちゃおもしろい作品だった。わずか12分の間に、サスペンスとホラーとアクションとコメディが入り混じっている。交通安全のための宣伝映画として撮られた作品らしいが、カール・ドライヤーはかなりのユーモア精神を持ち合わせているとみえる。死神のような顔をしたドライバーがわたしたちに向かって嗤うとき、今まで苦労してやってきたことが一瞬にして足元からすくわれることに気がつく。

また冒頭のシーンで、フェリーが陸地に着くときの、船と河、それに架かる橋の構図がシンメトリー(左右対称)になっているのにも注目。自然の創造物にシンメトリーの物は存在しない。左右対称にできているらしい人間の顔でさえも、よくよく見ると少しずつパーツの位置がズレていたりするものだ。シンメトリーの構図のなかには狂気が存在する、ということはよく聞く話だが、シンメトリーの構図のものをじっと見ていると不安になってくるのも事実である。冒頭に左右対称の構図をもってきて、来たる主人公の運命を予感させ、観客を不安がらせるのもドライヤーなのだ。


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