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10月11日
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1ヶ月前に買ったチケットがやっと使える。待ちに待ったカール・ドライヤー・レトロスペクティブ。この日は1日券なるものを購入していたので、長編・短編、それぞれ3本ずつ鑑賞。最近休みの日は10時前に起きるということがない。でもこの日は第一回目の上映が12時からということで、開場が11時半だから、まあ30分前の11時頃には着けばいいだろうと思っていたが、思わぬところで誤算が・・・。いつも通りの9時半過ぎに目が覚めてしまったのだ。あわてて飛び起きて、グルーミングもそこそこに会場に着いたときは11時45分をまわってしまった。あ〜あ、良い席がなくなってしまったなあと思っていたが、またもやここで誤算が・・・。会場には意外にも人が少ない。ほぼ満席だろうと踏んでいたわたしは、あちこち空席があるのに単純にびっくりした。休日にカール・ドライヤーなんて観に来る人なんていないのだろうか。今年最大の事件だというのに。
会場に来ている人たちは、わたしの想像通り、みんな、朝から晩まで映画のことばかり考えていそうな雰囲気の人たちばかり。なかには、ついさっきまで家でビデオを見ていたんじゃないか〜?と思わせるような、体も服もしわくちゃの人がいたりして、あの人たちはいったいどんな人生を送っているんだろうと余計な想像をしてみたりする。だいたいこういう場所に来る人っていうのは、1日に3、4本の映画のハシゴなんて朝飯前の人たちだろうから、とうてい現実的な世界に住んでるとは思えない。映画という夢の世界が現実になってしまっている人たちばかりなのだ。 最初のプログラムは、短編『村の教会』と長編『怒りの日』2本立て。 『村の教会』は、要するに、デンマークにある教会の簡単な歴史みたいなものをフィルムに収めたもので、教会というものが最初建てられたときは木であったのが、石になり、時代を経て教会の役割や建物の様式までが変わっていく様子などを追った、ある意味、教科書的な作品。 2本目の『怒りの日』がはじまった時点で、やばいと思った。日頃たまっている睡眠不足が映画鑑賞のじゃまをしはじめた。ねむい! 映画はノルウェーが舞台の魔女狩りの話。かなりおもしろかったのだが、ときどき襲われる睡魔と戦いながら、なかなかつらい映画鑑賞だった。それにしても、やっぱりカール・ドライヤーってすごい。映画とは光と影の芸術であるというのが、彼の映画、どのシーンを見ても納得できる。特に、この『怒りの日』では役者の動きひとつひとつがひじょうにゆったりしており、そしてそれにともなう顔つきや仕草、それを捉えるカメラアングルの的確さや光のあて方などが、映画を観ることの醍醐味を無意識のうちに味わわせてくれる。 2本観終わったらお腹がすいているのに気がついた。そういえば、今日は朝から何も口にしていない。次のプログラムがはじまるまで45分ぐらいあるので、なにか買ってこようと思い外に出る。マリオンを有楽町の方に出て行くと目の前に小さなカレー屋があるのが目に入った。ちょっと時間が気になったが、ほとんど無意識状態で外に設置してある自動販売機で食券を買って中に入り、カレーを食べる。前回の人の入り具合からみて、開映時間ギリギリに入っても席はあることがわかったので、だいじょうぶだいじょうぶ。 2つめのプログラムは、短編『母親支援』と長編『吸血鬼』。 『母親支援』は、未婚の母を支援するデンマーク政府機関のプロパガンダ映画。あ!こどもができちゃった!どうしよう?結婚してないしお金もない、相手の男もあてにならないし、できればおろしたいけど、でも恐い・・・。こんな、できちゃったお悩みのあなたにぴったりの施設があります。デンマーク政府は、どんな時でも、そんなつもりじゃなかったお母さんに温かい手を差し伸べます。お金のことは心配いりません。安心してこどもを産みましょう。 単純に、カール・ドライヤーのような人がこのようなプロパガンダ映画を手がけていたことにおどろいた。カタログの解説を読むと、莫大なお金を使いながらも一般受けしない映画を作り続けていたドライヤーに、『吸血鬼』以来、映画製作の話はこなかったらしい。そして、そんな彼に愛の手を差しのべたのがデンマーク政府映画局にいた人物で、そしてその彼のおかげで再び映画を作るチャンスを得ることになる・・・ な〜るほど。 そしてその問題の映画『吸血鬼』。わたしはこのDVDを持っているのだが、今回改めて完全版(というのか?)を観て、DVDに収録されている内容と微妙に違う気がした。DVDを見たのもすいぶん前なので裏覚えなのだが、こんなシーンあったかな?というのがいくつかあった。 影の使い方がひじょうに上手い。日頃人は影というものの存在を気にすることはないのだが、影はいつも人の後ろにあるのだ。そして姿の見えない影ほど怖いものはない。背後から忍びよる影、吸血鬼はいつの間にか後ろにいるものなのであり、影ゆえに普段はその存在には気がつかない。意識しない。この“いつのまにかそこに居る”という概念が、いつの時代でも吸血鬼話がおもしろい所以なのだろうと思う。そう言えば『ノスフェラトゥ』でも、吸血鬼は鼠にまぎれていつの間にか下界に降りてきたのだったな。 またこの映画は、ドイツ語版で検閲によりカットされた部分が、フランス語版の方では残っているところが2箇所あり、それが今日の『吸血鬼』上映終了後、おまけとして上映された。 ひとつは、棺桶の中で眠っている吸血鬼の胸に鉄杭を打ち込むシーン。DVD(ドイツ語版)の方では、あ、打ち込んだかと思ったらもう吸血鬼が白骨死体に変わるのだが、ほんとうは、この杭を打ち込むシーンが延々と続くのだ。文字通り最初から最後まで、リアル感もたっぷりだ。 もうひとつは、最後に医者が粉によって埋まるシーンで、こっちの方もこれまた延々と彼が窒息していくシーンが映っている。「畜生!」と罵りながら死んでいく様は、今の人間にとってはたいしたことないのだが、この映画が初めて公開された時代(1932年)には、人の死を最初から最後まで見せる箇所は衝撃が強すぎたのだろう。カットされる理由もうなずける。ただしこの2箇所は、32年ベルリンで公開されたときは、全てカットされた状態での公開だったらしい。 10月11日 つづきはこちら |