ルーブル美術館への訪問 ★★
難解そうに見えて、実はしごく単純なことをやっているのがストローブ=ユイレの映画だ。問題は、この彼らの仕事にまったく面白味が感じられないこと。こちらがいくら理解しようと試みても、彼らの受入れ度合いは低く(というか、こちらが意識を高く持って挑まなければならない)、映像ではなく、「言葉」による重要度が高い作品群は、その言葉自体が理解できないと、まったくお手上げ状態。そもそも「映画」というものを娯楽性から切り離しているものだから、時として画面にピザでも投げつけたくなるような衝動にかられる。揺るぎない姿勢とその作家性、「こだわり」によって在る創作への意欲。投げつけたピザは彼らの犬の餌にさえならない。

この『ルーブル美術館への訪問』は、画家ポール・セザンヌの言葉に導かれながらルーブル美術館に展示されているいくつかの名画を共に観賞する映画となっているが、当日予定されていた英語字幕が、ストローブ=ユイレの納得いかないものであったため、字幕はカット。字幕なしフランス語オリジナルバージョンでの上映となった。フランス語がわからない方のために、事前にディアログの資料が渡されたが、数ページにわたる資料を上映前に読む時間もなく、ほとんどの方がまったく予備知識ない状態での観賞となった(と思う)。わたしは、一生懸命フランス語の台詞を聞き取ろうとしたが、残念ながら彼らの言っていることはよくわからない。ひたすら絵を観賞するだけだったので少々退屈してしまった。

また、この作品そのものは「48分バージョン」と「47分バージョン」あって、今回はその両方が上映されたが、それぞれの違いというものは、たぶん、ある台詞の在る無し、または某シーンが在る無しの違いのみで、凡人の目には目立った違いはなく、バージョン違えどもほとんど同じものであった。こんなものを、敢えて“違うもの”として上映させるストローブ=ユイレの、作家としてのこだわりを改めて感じつつ、こんちくしょう、いつかは彼らの映画がわかる日が来るのだろうかと思いながら帰途についた。

■2004年作品



アデュー ★★★
アルジェリアからフランスに亡命する男の話と、息子を亡くして意気消沈した父親とその家族の姿を追った話が同時進行して描かれる。脚本・編集・監督と、アルノー・デ・パリエールひとりで行なった「手作り」のこの映画は、ゴダールにも似た作家性を感じさせる。工夫されたカメラワークと撮影の美しさは印象的。オリヴィエ・グルメ、ローラン・リュカ、そしてミカエル・ロンスダールと、一癖二癖もある役者陣をもってきたところに特別な印象を与える。アデュー(さようなら)という題名からして明るい映画じゃないが、機会があればもう一度観てみたい。

■2004年■出演ミカエル・ロンスダール、オリヴィエ・グルメ、ローラン・リュカ、オーロール・クレマン、ムハメッド・ルアビ



高みにのぼる猫 ★★
問題は、屋根の上に登る猫ではなく、猫が笑いを浮かべていることである。日頃、猫と親しんでいる方ならばご存じだと思うが、猫は、見る角度によって笑みを浮かべているようにも見えるのだ。あくせくした毎日を送っているわたしたちを笑っているのか。独りよがりで、争い好きな人間を戒めているのか。いや、猫はけっして他人を戒めたりなんかしない。彼らはただ高みの上に登り、見下ろしているだけである。

猫の笑いは、何かの警告のようでもあり、彼らの存在がなくなったらこの世の終わり、人は笑った猫がすぐそばに居ることに気づかなければいけないのだ。
映画は、フランス国内における選挙戦の様子、メディア、地球上で起きている出来事などを挿入しながら、そしてもちろん、「高い木の上に登って降りられなくなった猫」「エスカレーターに脚を挟まれて包帯をした地下道の猫」など、街角に見る猫の姿を盛りこみながら進んでいく。身にもタメにもならない、ただ、猫の姿を見てこちらも意味不明な笑いを浮かべるだけの映画。この映画の中で、屋根の上の壁や街角に現われる“黄色い笑う猫”たちは、デモの行進のときのプラカードを除いて(多分)、すべてCGによる監督クリス・マルケルの悪戯である。

■2004年作品
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