ピアニスト [LA PIANISTE]

2001年/フランス=オーストリア合作/129分
2001年カンヌ国際映画祭グランプリ・主演男優賞・主演女優賞受賞作品
監督ミヒャエル・ハネケ/原作エルフリーデ・イェリネク
出演/イザベル・ユペール、ブノワ・マジメル、アニー・ジラルド


2001年のカンヌで、グランプリそして主演女優賞(イザベル・ユペール)と主演男優賞(ブノワ・マジメル)をかっさらった映画。2000年の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』といい(こちらはパルム・ドールだったが)、この『ピアニスト』といい、このところカンヌでは「痛い」映画が審査員のツボにはまるのだろうか。心をほのぼのさせる映画より、心をえぐられて揺さぶられる映画の方がお好きとは、わたしたちの心はいったいどうしちゃったんでしょう。でもこれもしょうがないのかなあと思う。感動することは、痛いということと同義語なのだから。

この『ピアニスト』に関していえば、カンヌ3部門受賞は当然!と思わざるを得ない。この映画を目の前にしたら、他の上映されている映画はとっても平坦に見える。これは決して他の映画が質が悪いとかいうものではなく、この作品自体が特別なのだ。

監督、ミヒャエル・ハネケ。
昨年(2001)の「ぴあフィルム・フェスティバル」で特別上映された「ミヒャエル・ハネケ・レトロスペクティブ」では5作品を鑑賞。以来、彼の作品を見続けているけれど、彼の映画は、わたしにとって、好き・嫌いという基準では判断できない位置にある。誰でもない、とにかく「ハネケの映画」なのだ。一部の作品は二度と観たいと思わないが、一生忘れることはないだろう。とにかく衝撃が強すぎる。テンションが高すぎる。人の心にざっくり入り込み、引きずり回される。だから彼の映画は、観る側が、心のどこかに「笑い」がないとまともに観ることはできない。

そしてこの『ピアニスト』も例外ではない。というより、この映画こそ「笑い」をもって観ないと、完璧にこちらの方が傷ついてしまう。特にこの場合、主人公が女性だからね。わたしの中では「ハネケ・二度と観たくない映画」にランキング入り。主人公エリカの心の苦しみが痛いほどわかってしまって、苦しいなあ・・・。彼女にとって、生身の男を愛することは、生きる苦しみそのものなんだなあ。

娘のことに干渉しすぎる母親(アニー・ジラルド)に育てられたエリカ(イザベル・ユペール)は、その抑圧された環境の中で、才能を存分に発揮できたのは芸術の世界のみ。ピアノ、という、ある意味厳格なイメージの、孤独で冷たく、性欲とか官能とかいうものから距離をおいたそれは、イザベル・ユペールの美しく冷えた表情と、性別を感じないまるでおじさんのような動作と重なる。
そして、本来は、人と触れあい優しくすることで、他人との愛情を確かめ合うのものだが、彼女にはそれができない。屈折した、変態に近い行為で快楽を得る彼女の姿を見たとき気がついたことは、もしかして、こんなにも直接的に女性の哀れな変態姿を見るのははじめてかもしれないということ。

また、前半、初々しくも爽やかな好青年ぶりを見せているワルター(ブノワ・マジメル)は、その若さゆえに、エリカを一途に愛してしまうのだが、エリカの恋愛変態ゲームにまんまとのせられ、今まで自分でも見ることのなかった「裏側」の部分を露わにしてししまう。そして、ついには冷酷な変態男になってしまうのがすごく可笑しい。「君の家の窓の下で一人でイッてしまった!」と叫びながら、慌てふためいて怒鳴り込んでくる姿に、思わず笑いがもれそうになった。

ここで、なぜあのような好青年が変態女に惹かれたのか? という疑問は愚問だろう。人と人との縁(えにし)というのは、ただ好みが合うとか、趣味がいっしょだからとか、同じ人種だからとか、そういった一次的な理由だけでは理解し得ない、わたしたちが思っている以上に奥深いものなのだ。いわば、人間の宿命的要素のレベルにおいての繋がりによって、人同士の縁というものができあがる。ということは、ワルターの内なるものにも変態性が潜んでいたのだろう。それを証拠に、あんな強姦めいたことをしておいて、翌日の彼の笑顔のなんとすがすがしいこと! あの笑顔を見て途方に暮れてしまったのはエリカだけじゃない。

そうか、見事ハネケにしてやられたのはブノワ・マジメルの方だったのか。ハネケは、一見主役と見えるイザベル・ユペールを軸として、本当は、心から愛した女によって(または影響された人間によって)人間の「裏側」の部分が表面化することを描きたかったのかもしれない。
そして、ワルターがエリカを思い切り殴りはじめたとき「お、ハネケがはじまった!」と思い、でも中途半端に終わってしまったそのシーンにすごく不満を感じてしまったわたしも、もしかしたらピアニストになれるかもしれない。




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